阪神大震災

1995年1月17日、5時46分。
神戸を襲った震度7の激震。
朝起きて、慌ててつけたテレビで見た光景は、目を疑うものばかりだった。

1月28日。
入社1年目に過ごした神戸の町へと向かう。
当時住んでいた東灘の寮のまわりも多くの家がつぶれていた。
見るも無残。変わり果てた姿であった。
三宮を目指して一日歩き、そこで見たものは、想像もしなかった光景ばかりだった。
数々のビルが壊れ、倒壊。
水、電気、ガスのインフラは遮断され、用をたすのも一苦労。
食べるものもろくになく、朝家を出てから初めて口にしたのが、夕方、元町の中華街でのおにぎり。

2月15日~3月3日。
復旧支援で神戸へ。
徐々にではあるが町は落ち着いてきてはいたが、傷跡はいたるところに残っていた。
マンションの復旧では、多くの住人の方から当時の様子を聞き、建物の崩壊だけではなく、精神的な苦痛、震災のすごさを痛感する。

地震が起きたら、脆い建物は壊れる。
建物が壊れたら、人の命はなくなる。
人の命を守るために、今の私の仕事はある。

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