棟梁の父

私は、棟梁であった父の長男として生まれた。
将来大工となることを望まれ、ついた名前が・・・当然のように『匠』。

なぜ、当然のように?
私には2人の姉がいるが、その姉が生まれる前に、父の跡を継ぐ筈だったもう一人の『匠』がいたからだ。

誕生まもなく、その小さな命はなくなった。
その命と引き換えに、今の私がいる。

小さい頃見た父の姿は、にっかぼっかに、地下足袋。
週休2日が当たり前の今では考えられないが、盆、正月以外は休みなし。
日曜日も休みなしで仕事、仕事の毎日。
父親参観(今では死語ですが、)に、父の姿はなし。
運動会でさえ、その姿を見たという記憶がない。

そんな忙しい父だったが、たまに仕事が早く終わると、わずかな時間ではあったがキャッチボールをしてくれた。とてもうれしかった。

おがくずで汚れたシャツにステテコ姿。
かっこ悪いという気持ちより、嬉しいという気持ちのほうが強かった。

そんな父の現場での姿を、私は見た記憶がほとんど無い。
(どうも物心ついたばかりの頃は一生懸命見ていたようだが・・・)
仕事ばかりの父を見て、サラリーマンにあこがれ、幼心に大工にはならないと決めていたのかもしれない。
その後、普通科の高校に入り、大学に進学、サラリーマンとなる。
父が思い描いていた道とは違う方向に進んでいったような気がする。

今更大工にはなれないが、もの造りの現場で働きたい。
そう思い始めたのが、30歳を超えたころ。
ちょっと遅すぎた。
若い頃から、現場に足を運び、その技術を学んでおけばよかったなぁ、と後悔する。

36歳の時。
無謀にも会社を飛び出す。
ゼロから木造を学び、気がつけば、父親の仕事を引き継いでいた。
残念ながら、大工としての技術までは引き継げなかったが・・・。

写真の私は2歳ぐらい。
34違いの父の歳は36。

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